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会社のビルの階段の踊り場には、たくさんの虫が死んでいる。
蛍光灯のまぶしい光に釣られて、みんなこの場所に飛び込んでくる。
一階の踊り場には、地上と近い分、たくさんの虫が集まる。
二階、三階と高くなるに連れて、虫の数は少なくなって、
そして朝日が昇る頃にはにみんな死んでしまっている。
私はどこまで昇ることができるだろうか。
それとも、どこかの階の踊り場で満足してしまうのだろうか。
外が明るくなる頃にはきっと、戸締りされた窓から
自分がその建物に閉じ込められていることに気が付く。
それまでは踊り狂おう。この蛍光灯の下で。
ここは踊り場なのだから。

照明のない屋上に続く窓辺で朝日を眺めながら死んだ虫は、
いったいどんな気持ちだったのだろう。
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地元6月 地元6月2

※※ネガティブ注意!※※

先日、久々に地元の両親と電話で色々話をしました。
両親は現在、実家のあった場所から少し離れた場所にある
仮設住宅で暮らしています。
父は瓦礫の片付け、母は乾物屋さんでバイトをしたり、
内職をしたりして生活しているそうです。
私の家は、被災前は養殖漁業を生業としていました。
でも、もはや地元の海は仕事を出来る状態ではありません。
牡蠣やなんかを植えつけておくイカダはもちろん、
流された家やら土砂やらも沈んだままで、
海からは、いまだに人の死体が上がるそうです。
あの小さな湾に8000人が沈んだのです。
だけど、父の姉である自分の伯母はまだみつかっていないそうです。
ウチは3月の津波で、漁船は残ったのですが、
こんな死体の沈んでいる海では、とても仕事にならず、
逆に船に掛けていた保険も降りなかったそうです。

大学時代は、弟妹が先に就職していたので、
自分がよく母の愚痴を聞かされていたのですが、
あんなに弱っている母は初めてでした。
被災後、父と祖母は「生き地獄」だとか「あの時自分も死ねばよかった」
みたいな事を言っていました。

自分自身も入社して2ヶ月目で、仕事も増え、
色々と躓いたりして凹んでいたのですが、両親には
「超順調だよぉ♪www」みたいに言いました。
でも、そこら辺の安いバイトよりも薄給な仕事です。
ずっとずっと夢だった仕事ではあるのだけれど、
若いくて求人のあるうちに退社して、
バイト掛け持ちして親にお金を送った方がいいのではないかと、
かなり本気で悩んでいて、仕事が手につかなかったりします。
そんな中で、今週の木曜にミスをして、色々抑えきれなくて、
仕事中なのにトイレに駆け込んで、声を殺して泣いてしまいました。
でも、おかげでスッキリしたので、
来週からは完全復活して業務に臨めそうです。

会話で実家とか帰省の話題が出る度に少し胸が痛みます。
でも、気を遣わせて変な空気になるのも面倒くさいです。
たとえそこに住んでいなくとも、安心できる居場所あるというのは
かなり心の支えになるものなのだと実感しました。

いまの会社には、自分という人間が
見込みのある人材だと判断しくれたからこそ採用してもらえたのだから、
肩たたきされないように誠心誠意働かなくては!!
必要とされることが、いまの自分にとっての居場所なのだから!

でも、悩む~~~~www
私はまだ「明日死ぬ生き方」から逃げられずにいます。
以前にも書いたのですが、
人間、いつ何時、明日のやってこない日が来るかわからない、
だから、今日のこの日を精一杯生きよう、という生き方です。
それはそれで、ツライ日々を乗り切る糧となるのかもしれませんが、
この生き方は、なんとなく未来の自分をナイガシロにしてしまいます。

働きながら、死を意識しています。
自分は生きてる間に何が出来るのだろうか、とか、
この場所で、どこまで行くことが出来るのだろうか、とか。

「孫に看取られながら死にたい」という人もいます。
とても幸せな人生の終わり方です。
気持ちはわからなくもないのですが、自分は、
野垂れ死んでもいいから、自分のやりたいことを
やりつくしてから死にたいです。

いつもの宗教の人曰く
「『成仏』は全ての人間が目指す絶対の幸福(喜び?)」
なのだそうです。
なるほど、この世に未練を残さず、悔いを残さないように死のう、
という意味では、一理あるかもしれません。
だけど、自分が念仏なんて唱えたところで
極楽浄土へは行ける気がしませんw

「人の一生の意味とは?」なんていう問いもありますが、
つまるところ、その「意味」の意味するところの定義は
当事者の「納得」でしかありません。
それは、科学においては合理性や再現性であり、
現実の中で「真実」など何一つ確認でき得ないからです。

いつ何が起こるかわからないので、
自分はいまでも死ぬことを前提に生きてしまっています。
納得の行く死に方を。
悔いを残さないように生き抜こう。
明日の来ない日が来るまで。

自分は最終的には絵に成りたいです。
「成仏」ならぬ「成絵」?
それについてはまたいつかw

 
いつかのつづき。

新しい生活が始まってから一ヶ月とちょっと経って、
いろいろな人の絵を拝見する機会がありました。

美大でや専門系の学校でバリバリ描いてきた人の絵、
予備校トップクラスの絵、
ネット上で名を馳せてきた人の絵、
独学でずっと描き続けてきた人の絵・・・。

才能の塊のような天才や、寝る間も惜しむ努力家たち。
そんなツワモノ達の中で、
自分がいかに生ぬるい世界で生きていたかを思い知らされる。

才能があったわけでもなく、
そこまでデッサンも積み重ねていない。
隣りの芝は青い、とはいうものの、
どうしても劣等感を感じてしまう。

自分の絵は、デッサンやクロッキーなどの
しっかりとした画力に裏付けされた絵でもなければ、
滑らかでキレイな線で描かれるイラストのようなものでもない。

ただの、らくがきの延長線。

誰から教わったわけでもなく、
「独学」とはいえ、ロクに何かを調べた記憶がない。
本当にいままで好き勝手やってきた。

いつも、やりたいこと、描きたいものがあった。
そういうものがあったら面白そうだなぁ、って、
自分がそれを観たいがために、なんとなく毎回「付け焼刃」。
そんな「付け焼刃」の積み重ねだから、基礎がないんだ。
誰の絵とも違う。
ただのらくがき、好き勝手。

小さいころからずっと カメ だった。
親や周りがなんと言おうと、自分が本当は
出来の悪い子だという自覚があった。
だから、絵に逃げて、
そんならくがきを誰かが見てくれて、
そんならくがきで誰かが笑ってくれて、
「今度はもっと面白いものを」って・・・。
たぶん、それが自分の根幹なんだと思う。


私は ががめ。
カメ のように一歩一歩、
ガ のように一心不乱に、
いまはただ、明るい方へ。

ウサギたちが休んでる間にも、頑張らなくては。


・・・なんか支離滅裂だー w
富山に来てから、まったく地震がないです・・・。
小さなスーパーの棚には隙間なく商品が並んでいます。
平和そうに並んでいる民家を眺めながら、

こっちにも地震が来て、家の1,2件くらい潰れないかなぁ、

とか思ってしまいました。
同時に、自分はすごく嫌なヤツだと思いました。

自分が今いるところは、360度山に囲まれた、
過疎化が進んだ人の少ない田舎町です。
過疎り具合は、津波で流された南三陸町と良い勝負です。
豪雪地帯で、4月の今でも冬の間に積まれた雪が
あちこちに残っています。
逆に、夏は暑いそうです。

だけど、
この場所も、きっと誰かの故郷なんだ。

自分と同じように「こんな田舎じゃ何もできない」と、
何かを追いかけて出ていった誰かが、たぶんここにもいる。
その誰かは、この場所の風景にたくさんの思い出を持っている。

そう思うと、やっぱり潰れてはいけないと思う。
自分の過ごした場所が無くなるのは、とても悲しいもの。


なんか暗いことばっかり書いてるなぁ・・・。

城端桜

 おおよそ なぅ 
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HN:
ががめ
年齢:
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性別:
男性
誕生日:
1988/06/30
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