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                                                       いわゆるチラシの裏。
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先日、被災した地元の家族が仙台へやってきました。
久しぶりに親戚同士で何人かが集まりました。
従姉弟の家のおじいさんを病院へ送るついでに顔を合わせようとのこと
だったそうです。
被災後に両親と会うのは初めてでした。
母はケータイで撮った地元の画像を見せてくれました。
まさにテレビで見た風景そのままで、あまりにもぐちゃぐちゃだったので、
自分はなんだか可笑しくなって、
少し笑ってしまい、父に怒られました。
母は少しだけ泣きそうな顔をしていました。

家
実家。
割と残っているように見えますが裏側は壁が無く部屋の中から海が見えます。
奥にあった仕事部屋も、隣りの家も流されてしまいました。
土台がダメになっているとかで、取り壊すそうです。

津の宮津の宮2津の宮3


そのあとは、叔父や叔母や従姉弟と一緒にお昼を食べました。
今の現状のこと、これからのこと、色々と聞くことが出来ました。
避難所での生活は、空輸されてくる支援物資のおかげで、
食べ物には困っていないそうで、津波の引いた瓦礫の山の中から
行方不明になっている人を探したり、
まだ使えそうな物を拾い集めたりして暮らしているそうです。
突然始まった共同生活で、避難所同士の間で派閥が起こっていたり、
盗みなんかも流行っているらしく、かなり治安が悪いそうで、
元の生活を取り戻すまでには、少なくとも年単位で時間を
費やさなくてはならない、というような会話をしていたのですが、
「向こうの避難所ではジャグジー風呂拾ってた」とか、
「酒、拾ってきて飲んでた(笑)」とか、
「仙台の人たちより喰うものには困らねぇ」とか
被災した当人たちは、思ったよりも全然元気そうだったので安心しました。

また、昨日は仙台の叔母の家に避難した祖母のところへ行ってきました。
祖母は自分と顔を合わせると涙を流しました。
会う度に、顔の皺で目が小さくなっている気がします。
祖母は自分が生き残ったことについて、
もう迷惑をかけることしか出来ない、「生き地獄だ」と言っていました。
顔を知っている親戚や知人も未だに行方不明の者が多く、
祖母の娘である叔母は未だに見つかっておらず、また、祖母が娘のように
可愛がっていた姪のおばさんは、持っていた免許証から遺体が
確認されたそうです。
祖母は「死んだ人は痛くも痒くもないからいい」とも言っていました。
自分はどこにいても厄介者で居場所がないとか、葬式がどうとか
そんなことばかり言っていた気がします。
だけど、
べつにそんなことばかりを話していたわけではなくて、
また別の話なのですが、
自分は「宝孫(タカラマゴ)」だったそうです。
自分が生まれたとき、部落のみんなが喜んだそうです。
だけど、隣りの家に子どもが生まれたときにはみんなそんなに喜ばなくて、
隣りの家のお母さんが怒ってしまったんだとか。
自分は記憶に無いのですが、幼いころの自分はよく人に懐いたそうで、
色々と思い返しながら、
自分は小さいころから周囲に愛されて育ってきたんだと感じました。


なんだか取り留めがないのでこの辺で。
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