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部屋の掃除をしていて、みつかった落書きの中に

「自分を殺したら何も描けなくなる」

という殴り書き?なメモをみつけました。
「だから自分の個性を大切にしていきたい」みたいな。
たぶん、高校のときに書いたものだと思います。

私にとって、絵は「救い」でした。
たぶん、いまでもそうです。
昔から運動オンチで、人と話したりするのが苦手だったので、
自分が他人よりも特別に評価される場所はいつも絵でした。

「だから絵は自分にとって言葉の代わり」
「もっとすごい絵を描かなければ」
「作品は作者の分身 感情、人格の鏡
 画面には、無意識に作者の深層心理が現われる」
「ならば、自分の本当の気持ちに近いものを描こう
 自分の深層を洗練していけば、そうすれば嘘の無い、
 すばらしい作品が生み出せるのではないだろうか」

そんな考えでした。
でも、結局そういう年頃でこういう性格の人間のもつ
深層心理を追求していけば、
おのずと暗くてドロドロしたものになっていきます。

「友達がいないわけではないけれど、周囲もお年頃なので
 本当は人間関係が怖くてしょうがない」
「受験や進路、社会や将来に対する不安」
「夢や希望、明るい未来を見るのが馬鹿馬鹿しい」
「それからエロス」

その当時の自分の根幹、まじりっけのない本音。
そんなものを全面に吐き出した絵を描いたところで、
それで物理的に何かがどうしてくれるというわけでもなく、
結局、周りは「わからないけどすごいね」みたいな反応で、
作者の苦しみは伝わっても、だからといって
その深くて重そうでデリケートな悲鳴を、
絵を観た人がどうにかできるわけもなく、
独りで負のスパイラル状態に陥ってる感じでした。

防壁

高3のときの絵。タイトルは『防壁』。
ちっちゃい画像しか残ってなかったけど、
たぶん自分のこっち系の作品では、いまでもこれが最高傑作。
この作品を出品したときに、全部は覚えていないけど、

「題に『防壁』とあるが、壁は無残に壊されている。」
「最後に残った一枚のマスクは、なんの防御力も無く、
 ただ息苦しくさせるだけだ。」

というコメントを書かれて、すべてを見抜かれたような気がした。
これを書いた人はたぶん、自分のことをよく知る人物だったのだと思う。
何か、答えを突きつけられたような感じだった。
それからは徐々に考えが変わっていった。

「個性やオリジナリティを大切にしてなんになるのか」
「自分の伝えたいことや感情を吐き出してどうするのか」
「吐き出すことが気持ちいいだけで、
 それは単なる独り善がりなのではないだろうか」
「それを観た人に、自分は何を望んでいるのか」


つづく ?

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東京でフィギュアを作っている友達がいます。
去年の8月に、就活で東京に行ったときに、
一晩泊めてもらったお礼に何かしたくて、
東方の「綿月姉妹」というキャラクターの下絵を描かせてもらいました。
お礼・・・になってるのかな・・・?

綿月綿月綿月

綿月
リメイク。 左:最近、右:去年。
改めて見ると、当時の俺の下絵が悪かった気がしてならない・・・orz
東方シリーズは、キャラクターが多くて付いていけず、
霊夢とかチルノくらいは分かるのですが、あまり詳しくはないです。
しかし、いまの時代において、これだけ大きな「プラットフォーム」として
確立している点には、けっこう興味があったりします。
その話については、またいつか・・・?

このフィギュアを作った友達は、
同じ地元の出身なので、小学校に入る前から知り合いでした。
二人ともウルトラマンが好きで、中学では、
田舎では貴重な「深夜アニメ」という共通の話題ができ、
それからはオタク仲間?みたいな感じで、今でも付き合いがあったりします。
もともと手先が器用な人ではあったのですが、
彼、中学のときは野球部でピッチャーだったのになぁ・・・w

リンク:友人のfg(フィギュア版のpixivみたいなもの)


3月の21日に、4年間住み慣れたこの部屋を出ることになりました。
荷物もだいぶ片付き、部屋も広くなり、最近は気温も暖かいので、
なんだかこの部屋に越してきたばかりときのことを思い出します。
射し込む陽の光とか、夕方の冷たい風とかを感じる度にいちいち切なくなって、
ちょっとおセンチをこじらせてしまっていました。
らくがきやちょっとしたメモとかも捨てられない性分なので、
掃除していて、そういうのをみつける度に
そのとき描いていた場面がフラッシュバックして、
思い出に取り憑かれてしまっていました(笑)


193xx

4年間一緒に過ごした友達の似顔絵を描きました。
ウチの学科は男子が少なかったので、ときどき喧嘩することもありましたが、
基本的にみんな仲良しでしたw
美術系の学科なだけに、灰汁の強い個性派揃いで、いま振り返ってみると
この4年間、本当に楽しかったのだと思いました。

寂しさなんか知らなきゃ良かった・・・。

終わってしまいました・・・。
この一週間、トラブったり間に合わなかったりもしたけど、
本当に楽しかったです。
いままで、いつも独りで部屋にこもりながら絵を描いてたけれど、
自分が、人といるのがこんなに楽しいと思えるなんて知らなかった。
アトリエとか、もっと顔を出せばよかった。

作品の搬出作業が終わって、みんなでご飯を食べに行った。
うるさくて、お店の人に注意された。
なんか、すごく大学生って感じがしたww
帰りは友達を家まで送って歩いた。
夜空には雲がなくて「月の暈」を見ることができた。
帰りたくなかった。
寒かったし、実は自分もお腹が痛かったけど、
もっと一緒にいたかった。

大学は、設備とかやってることとか全体的に
何もかも中途半端であまり好きではなかったけれど、
でも、この学校で良かったと思う。
師匠が観に来てくれました!
師匠は自分が1・2年のとき、同じバイト先の上司でした。
元美術の非常勤講師で、今は画材屋さんで働いています。
今回の卒業制作に登場する、アコーディオンを弾いているキャラクターの
モデルとなった人物です。
この人には本当に色々なことを教えていただきました。
高校時代まで引きこもりで、社会経験のほとんどなかった自分に
厳しくも、ときに優しく、面白可笑しく接してくれました。
仕事の終わりには、よく筋トレに付き合わされたりしましたw
人生の中で、自分はこの人に会えて本当に良かった。
自分は大学自体はあまり好きではなかったけれど、
この人に会えただけで、この大学に入って良かったと思っています。


それから、バレンタインにクラスの子から、人生で初めて
親戚以外の女性からチョコレートをもらいました!!!
4っつも!(内1個はハート型に折ったレシートでしたw)
卒展でバタバタしてて、バレンタインなんか
まったく意識してなかったので、とんだ不意打ちでした。
中学のときはすごい田舎だったので、そういう文化はなかったし、
高校では半分不登校だったし、大学にもあまり顔を出してなかったので、
親戚以外では本当に初めてでした。
自分、意外と嫌われてはいなかったのかな・・・・?
お返しどうしよう・・・。
とりあえず、落ち着こう。
平常心、平常心・・・・。
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 おおよそ なぅ 
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HN:
ががめ
年齢:
36
性別:
男性
誕生日:
1988/06/30
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