いわゆるチラシの裏。
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「ががめ」です。 よろしくおねがいします。
「うつがめ」は、3月11日の地震で故郷と一緒に津波に流されてしまいました。
住民登録していた地元の役場も、そのバックアップを取っていた気仙沼の役場も
津波で流されてしまったので、彼の存在はいまどこにもありません。
いくら性格が暗いからといっても、そろそろ自分で鬱を名乗って
許される年齢でもありませんし、今更ながら、なんとなく卑猥でした。
でも、小さいころからカメは自分の好きな動物でした。
足が遅くて、部屋や狭い場所に籠もるのが好きだった自分に
ずっとカメを重ねていました。
それから、大学に入り、深夜のバイトを始めてからは、昆虫の"ガ"に
憧れるようになりました。
飛んで火に入る夏の虫ではありますが、電灯に何度も頭を叩きつけるその姿は
明るい将来を目指すことしか知らない人間と、何等変わりはありません。
ガの行動パターンというものは機械でプログラムできるほどの単純なものですが、
単純だからこそ本質であり、また夜の世界にもっとも繁栄した昆虫でもあります。
昔の人は、どうして虫に我と書いて「蛾」と読ませたのかも、
なんとなく魅力的です。
でも、気持ち悪いので素手で触るのは勘弁です。
なんか、そんなかんじ。
「うつがめ」は、3月11日の地震で故郷と一緒に津波に流されてしまいました。
住民登録していた地元の役場も、そのバックアップを取っていた気仙沼の役場も
津波で流されてしまったので、彼の存在はいまどこにもありません。
いくら性格が暗いからといっても、そろそろ自分で鬱を名乗って
許される年齢でもありませんし、今更ながら、なんとなく卑猥でした。
でも、小さいころからカメは自分の好きな動物でした。
足が遅くて、部屋や狭い場所に籠もるのが好きだった自分に
ずっとカメを重ねていました。
それから、大学に入り、深夜のバイトを始めてからは、昆虫の"ガ"に
憧れるようになりました。
飛んで火に入る夏の虫ではありますが、電灯に何度も頭を叩きつけるその姿は
明るい将来を目指すことしか知らない人間と、何等変わりはありません。
ガの行動パターンというものは機械でプログラムできるほどの単純なものですが、
単純だからこそ本質であり、また夜の世界にもっとも繁栄した昆虫でもあります。
昔の人は、どうして虫に我と書いて「蛾」と読ませたのかも、
なんとなく魅力的です。
でも、気持ち悪いので素手で触るのは勘弁です。
なんか、そんなかんじ。
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先日、被災した地元の家族が仙台へやってきました。
久しぶりに親戚同士で何人かが集まりました。
従姉弟の家のおじいさんを病院へ送るついでに顔を合わせようとのこと
だったそうです。
被災後に両親と会うのは初めてでした。
母はケータイで撮った地元の画像を見せてくれました。
まさにテレビで見た風景そのままで、あまりにもぐちゃぐちゃだったので、
自分はなんだか可笑しくなって、
少し笑ってしまい、父に怒られました。
母は少しだけ泣きそうな顔をしていました。
実家。
割と残っているように見えますが裏側は壁が無く部屋の中から海が見えます。
奥にあった仕事部屋も、隣りの家も流されてしまいました。
土台がダメになっているとかで、取り壊すそうです。
そのあとは、叔父や叔母や従姉弟と一緒にお昼を食べました。
今の現状のこと、これからのこと、色々と聞くことが出来ました。
避難所での生活は、空輸されてくる支援物資のおかげで、
食べ物には困っていないそうで、津波の引いた瓦礫の山の中から
行方不明になっている人を探したり、
まだ使えそうな物を拾い集めたりして暮らしているそうです。
突然始まった共同生活で、避難所同士の間で派閥が起こっていたり、
盗みなんかも流行っているらしく、かなり治安が悪いそうで、
元の生活を取り戻すまでには、少なくとも年単位で時間を
費やさなくてはならない、というような会話をしていたのですが、
「向こうの避難所ではジャグジー風呂拾ってた」とか、
「酒、拾ってきて飲んでた(笑)」とか、
「仙台の人たちより喰うものには困らねぇ」とか
被災した当人たちは、思ったよりも全然元気そうだったので安心しました。
また、昨日は仙台の叔母の家に避難した祖母のところへ行ってきました。
祖母は自分と顔を合わせると涙を流しました。
会う度に、顔の皺で目が小さくなっている気がします。
祖母は自分が生き残ったことについて、
もう迷惑をかけることしか出来ない、「生き地獄だ」と言っていました。
顔を知っている親戚や知人も未だに行方不明の者が多く、
祖母の娘である叔母は未だに見つかっておらず、また、祖母が娘のように
可愛がっていた姪のおばさんは、持っていた免許証から遺体が
確認されたそうです。
祖母は「死んだ人は痛くも痒くもないからいい」とも言っていました。
自分はどこにいても厄介者で居場所がないとか、葬式がどうとか
そんなことばかり言っていた気がします。
だけど、
べつにそんなことばかりを話していたわけではなくて、
また別の話なのですが、
自分は「宝孫(タカラマゴ)」だったそうです。
自分が生まれたとき、部落のみんなが喜んだそうです。
だけど、隣りの家に子どもが生まれたときにはみんなそんなに喜ばなくて、
隣りの家のお母さんが怒ってしまったんだとか。
自分は記憶に無いのですが、幼いころの自分はよく人に懐いたそうで、
色々と思い返しながら、
自分は小さいころから周囲に愛されて育ってきたんだと感じました。
なんだか取り留めがないのでこの辺で。
久しぶりに親戚同士で何人かが集まりました。
従姉弟の家のおじいさんを病院へ送るついでに顔を合わせようとのこと
だったそうです。
被災後に両親と会うのは初めてでした。
母はケータイで撮った地元の画像を見せてくれました。
まさにテレビで見た風景そのままで、あまりにもぐちゃぐちゃだったので、
自分はなんだか可笑しくなって、
少し笑ってしまい、父に怒られました。
母は少しだけ泣きそうな顔をしていました。
実家。
割と残っているように見えますが裏側は壁が無く部屋の中から海が見えます。
奥にあった仕事部屋も、隣りの家も流されてしまいました。
土台がダメになっているとかで、取り壊すそうです。
そのあとは、叔父や叔母や従姉弟と一緒にお昼を食べました。
今の現状のこと、これからのこと、色々と聞くことが出来ました。
避難所での生活は、空輸されてくる支援物資のおかげで、
食べ物には困っていないそうで、津波の引いた瓦礫の山の中から
行方不明になっている人を探したり、
まだ使えそうな物を拾い集めたりして暮らしているそうです。
突然始まった共同生活で、避難所同士の間で派閥が起こっていたり、
盗みなんかも流行っているらしく、かなり治安が悪いそうで、
元の生活を取り戻すまでには、少なくとも年単位で時間を
費やさなくてはならない、というような会話をしていたのですが、
「向こうの避難所ではジャグジー風呂拾ってた」とか、
「酒、拾ってきて飲んでた(笑)」とか、
「仙台の人たちより喰うものには困らねぇ」とか
被災した当人たちは、思ったよりも全然元気そうだったので安心しました。
また、昨日は仙台の叔母の家に避難した祖母のところへ行ってきました。
祖母は自分と顔を合わせると涙を流しました。
会う度に、顔の皺で目が小さくなっている気がします。
祖母は自分が生き残ったことについて、
もう迷惑をかけることしか出来ない、「生き地獄だ」と言っていました。
顔を知っている親戚や知人も未だに行方不明の者が多く、
祖母の娘である叔母は未だに見つかっておらず、また、祖母が娘のように
可愛がっていた姪のおばさんは、持っていた免許証から遺体が
確認されたそうです。
祖母は「死んだ人は痛くも痒くもないからいい」とも言っていました。
自分はどこにいても厄介者で居場所がないとか、葬式がどうとか
そんなことばかり言っていた気がします。
だけど、
べつにそんなことばかりを話していたわけではなくて、
また別の話なのですが、
自分は「宝孫(タカラマゴ)」だったそうです。
自分が生まれたとき、部落のみんなが喜んだそうです。
だけど、隣りの家に子どもが生まれたときにはみんなそんなに喜ばなくて、
隣りの家のお母さんが怒ってしまったんだとか。
自分は記憶に無いのですが、幼いころの自分はよく人に懐いたそうで、
色々と思い返しながら、
自分は小さいころから周囲に愛されて育ってきたんだと感じました。
なんだか取り留めがないのでこの辺で。
地元編。
13日の夜に電力が回復してからは、ずっとネットのニュースに張り付いていました。
事前に新聞や先生の話で地元が被災したことは知っていたのですが、
実際に映像で見ると、やはりショックが大きいです。
幸い家族は全員無事だという情報を得ることが出来たのですが、
自分の実家は、映像の町の中心部から南東に10kmくらいのところにある
漁村?のような集落にあって、まだ詳しくは知らないのですが、
だるま落としのように1階が流されてしまっているらしいです。
橋も全て落ちてしまって、道路が分断され、救助が遅れてしまっており、
ガソリンも足りない状態だとニュースで言っていました。
宮城県沖地震は前々から、10年以内に70%、30年以内には99%で発生すると
言われており、地元にいるときからそれとなく覚悟はしていたつもりだったのですが、
やはり辛いです。
今はこの寒さの中、家を失くし、生き残った家族のことが心配でたまりません。
同じ大学の同郷の後輩は家族を助けるために、仲間を集めて昨日、
気仙沼へと発ちました。
地元を見てきた知り合いや友達の話によると、
本当に壊滅状態で、治安も悪くなっているそうです。
しかし、冷静に考えて、自分が帰ったところで何が出来るというわけでもないので
ニュースや掲示板でも言われているように、気持ちだけで現地に足を踏み入れても
足手まといで迷惑しか掛けられないので、
もう少し落ち着くまで様子を見てから帰ることにします。
本当に心配です。
何かしていないと気がおかしくなりそうなのに、
集中できず、何も手につかないような、そんな感じです。
ガスも水道も、未だに止まったままです。
お風呂に入りたいです。
13日の夜に電力が回復してからは、ずっとネットのニュースに張り付いていました。
事前に新聞や先生の話で地元が被災したことは知っていたのですが、
実際に映像で見ると、やはりショックが大きいです。
幸い家族は全員無事だという情報を得ることが出来たのですが、
自分の実家は、映像の町の中心部から南東に10kmくらいのところにある
漁村?のような集落にあって、まだ詳しくは知らないのですが、
だるま落としのように1階が流されてしまっているらしいです。
橋も全て落ちてしまって、道路が分断され、救助が遅れてしまっており、
ガソリンも足りない状態だとニュースで言っていました。
宮城県沖地震は前々から、10年以内に70%、30年以内には99%で発生すると
言われており、地元にいるときからそれとなく覚悟はしていたつもりだったのですが、
やはり辛いです。
今はこの寒さの中、家を失くし、生き残った家族のことが心配でたまりません。
同じ大学の同郷の後輩は家族を助けるために、仲間を集めて昨日、
気仙沼へと発ちました。
地元を見てきた知り合いや友達の話によると、
本当に壊滅状態で、治安も悪くなっているそうです。
しかし、冷静に考えて、自分が帰ったところで何が出来るというわけでもないので
ニュースや掲示板でも言われているように、気持ちだけで現地に足を踏み入れても
足手まといで迷惑しか掛けられないので、
もう少し落ち着くまで様子を見てから帰ることにします。
本当に心配です。
何かしていないと気がおかしくなりそうなのに、
集中できず、何も手につかないような、そんな感じです。
ガスも水道も、未だに止まったままです。
お風呂に入りたいです。
だいぶ気持ちも落ち着いてきたので更新~。
先週の3月の11日、東北地方太平洋沖地震に見舞われてしまいました。
自分は地震の瞬間、古本の処分のために仙台駅前にいました。
本を売り終えたお金で、また新しく本を買おうとして、
身分証明等一切合財の入った財布を失くしたことに気付きます。
やべぇ、と思って届出を出して、もう一度探し回っていたその時に、
どこからかサイレンの音がなり、激しく長い揺れに襲われました。
建築物は豆腐のように揺れ、目の前で壁に亀裂が入り、パラパラと破片が落ち、
ビルとペデストリアンデッキの間が割れて別々に揺れていました。
少し揺れが治まってくると建物の中から黒山のように人が流れ出てきて、
駅前のロータリーは、あっという間にコミケ状態になりました。
自分は地震の中、財布も身分証明も失くし、停電で駐輪のロックも外せず、
ケータイのバッテリーも切れ、雪も吹雪いてきて、
しばらく途方に暮れたあと、余震の続く中、
仕方が無いので家まで歩いて帰りました。
帰り道は、ところどころアスファルトが割れていて、
車屋さんのショーウィンドウはどこも割れてしまっていました。
交通機関が止まっているので、家に着くまで5kmくらいあるのですが、
歩道にはずっと家に帰る人の行列ができていました。
その日の夜はライフラインがすべて止まってしまっていたので、
近所の学生や、帰れなくなった学生で集まって、大学に宿泊しました。
始めは、どこか突然始まった合宿のような雰囲気だったのですが、
時間が経ち、被害の情報が入ってくるに連れて、
改めて自分達の置かれている現状を知り、被災したのだと自覚しました。
目の前でヒビ入った!!
先週の3月の11日、東北地方太平洋沖地震に見舞われてしまいました。
自分は地震の瞬間、古本の処分のために仙台駅前にいました。
本を売り終えたお金で、また新しく本を買おうとして、
身分証明等一切合財の入った財布を失くしたことに気付きます。
やべぇ、と思って届出を出して、もう一度探し回っていたその時に、
どこからかサイレンの音がなり、激しく長い揺れに襲われました。
建築物は豆腐のように揺れ、目の前で壁に亀裂が入り、パラパラと破片が落ち、
ビルとペデストリアンデッキの間が割れて別々に揺れていました。
少し揺れが治まってくると建物の中から黒山のように人が流れ出てきて、
駅前のロータリーは、あっという間にコミケ状態になりました。
自分は地震の中、財布も身分証明も失くし、停電で駐輪のロックも外せず、
ケータイのバッテリーも切れ、雪も吹雪いてきて、
しばらく途方に暮れたあと、余震の続く中、
仕方が無いので家まで歩いて帰りました。
帰り道は、ところどころアスファルトが割れていて、
車屋さんのショーウィンドウはどこも割れてしまっていました。
交通機関が止まっているので、家に着くまで5kmくらいあるのですが、
歩道にはずっと家に帰る人の行列ができていました。
その日の夜はライフラインがすべて止まってしまっていたので、
近所の学生や、帰れなくなった学生で集まって、大学に宿泊しました。
始めは、どこか突然始まった合宿のような雰囲気だったのですが、
時間が経ち、被害の情報が入ってくるに連れて、
改めて自分達の置かれている現状を知り、被災したのだと自覚しました。
目の前でヒビ入った!!
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新コメ ときどき 返信
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