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富山に来てから、まったく地震がないです・・・。
小さなスーパーの棚には隙間なく商品が並んでいます。
平和そうに並んでいる民家を眺めながら、

こっちにも地震が来て、家の1,2件くらい潰れないかなぁ、

とか思ってしまいました。
同時に、自分はすごく嫌なヤツだと思いました。

自分が今いるところは、360度山に囲まれた、
過疎化が進んだ人の少ない田舎町です。
過疎り具合は、津波で流された南三陸町と良い勝負です。
豪雪地帯で、4月の今でも冬の間に積まれた雪が
あちこちに残っています。
逆に、夏は暑いそうです。

だけど、
この場所も、きっと誰かの故郷なんだ。

自分と同じように「こんな田舎じゃ何もできない」と、
何かを追いかけて出ていった誰かが、たぶんここにもいる。
その誰かは、この場所の風景にたくさんの思い出を持っている。

そう思うと、やっぱり潰れてはいけないと思う。
自分の過ごした場所が無くなるのは、とても悲しいもの。


なんか暗いことばっかり書いてるなぁ・・・。

城端桜

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こっちに引っ越してきてから一週間が経ちました。
富山はまったく揺れないので、被災後の仙台や、
地元の南三陸町とは別世界のようで、まるで悪い夢でも見ていた気分です。
日本海側なので放射能もまだないし、
なんだか一人だけ逃げ出してきたようで後ろめたいです・・・。

仕事の方は初日から毎日11時間くらい働いています。
同期の子たちより自分だけ一週間遅れの研修スケジュールで、
能力的には着いていけるかどうかまだ分かりませんが、
自分がいままでどれだけヌルイ世界で生きていたか
身の程を思い知らされている最中ですw
でも、ずっと夢だった仕事なのでちっとも辛くないです。
自分、ほんとに恵まれてるなぁ・・・。

作業中ときどき地元のことを思い出して不安定になります。
針で糸をなぞるような作業なのですが、指先が震えてしまいます。
自分にはもう帰る場所がないのだから、全力で喰らいつかねば!
とは思うのですが、気持ちばかり空回りしている感じです。


でも、「いまは無き壊滅した町の出身」ってカッコイイよね☆ww
正確には町外れの部落民だったのですがw
ました。

予定日前日の7日の23時に震度6強の地震に見舞われ、
翌日は、電力がダウンした中での部屋の引き渡しになりました。

引っ越しは、父と叔父が手伝ってくれました。
父いわく「金と仕事は無いけど、時間だけはある(笑)」とのこと。
移動の間、父と叔父と色々なことを話しました。
高校時代は思春期で、顔も合わせないようにしていたので
こんなにたくさんのことを話したり、一緒の時間を過ごしたのは
何年ぶりだろう。

あの頃の頑固で意地っ張りで、人の話をまったく聞かなかった父は
今では頬の皺も深く刻まれ、性格も丸く、諦めることがが多くなり、
だんだんとおじいさんの影が見え始めるようになってっきました。
父は現在57歳。
漁業一筋で暮らしてきて、仕事を失い、
ウチの漁船は残ったものの、それによって船の保険は降りず、
かといって、仕事が再開できるわけでもなく、
家の保険も、半壊のために他の家庭の半分程度。
7日の夜の地震については、
「今度、津波が来たら飛び込んでやる
 そしたら俺の保険も降りっぺよ」
と言っていました。
祖母と同じことを言っています。流石は親子です。

「生き地獄だ」
二人ともそう言っていました。

そんな中で、自分は遠くの地へ引っ越して来てしまいました。
こんなご時世の中で採用してくれるところがあって、
雨風の凌げる居場所があるということは本当に有り難いのですが、
なんだか、独りだけ逃げ出してきているようで後ろめたい。
ずっと夢だった職業だったけど、お金にならない仕事だから
何度か本気で辞めようかとも考えた。

だけど、いま自分はここにいる。
明日から仕事が始まる。
自分は本当に幸せなんだ。
同期の人達よりも10日遅れのスタート、人一倍頑張らなくちゃ。
今回の件で、会社の方たちにはすごく良くしてもらった。
それに仕事の内容も、会社のある場所もすごく好きだし、
まだ数人にしか会ってないけど、社員の人もめちゃめちゃ良い人。

この会社で本当に良かった。
最近の若者は、恋をするように仕事を選ぶといいます。
結婚と一緒で、生涯の伴侶を選ぶように仕事を探すから
なかなか決まらないんだとか。
だけど自分はこの会社で本当に良かったです。
付き合い始めのカップルだからかもしれませんが、
この会社に忠誠を誓いたいです。
吊り橋効果(?)もあるとは思いますが、
なんだかもう一生を捧げたい気分です。
だけど、骨は南三陸に埋めさせてください。

だらだらと、なんかすみませんでした。
もう寝なきゃ。
最近、暗いことばっかり書いてたので。

卒業までに完成するかなぁ、と思って作ってたんですが無理でした。
後半の空白の部分にあと120枚くらい入る予定なのですが、
これからはとてもハードな生活になると思うので、
ちょっとした短編なのに完成は何ヶ月後になるのか・・・。

先日、被災した南三陸町の実家の方へ
兄妹三人と妹の友達とで帰省してきました。



震災から2週間以上たっていたのですが、
現地の様子は中継で見ていたそれと変わらないものでした。

自分の家族や地元の人たちは、近くの民宿を避難所として
生活していました。
幸い、自衛隊からの物資も届き、
暖かい布団やプライバシーを守れる部屋もあり、
電柱が海岸沿いに並んでいたため電力は回復していないものの、
震災後も部落の水道は通っていたので
とりあえず生活する分には困っていないようでした。

  


実家で両親と色々話をしました。
といっても、家の中はめちゃくちゃで入れないので
流されて残った仕事場の土台の上に腰を下ろして話しました。

 

実家の損傷は半壊止まりで、
自分が使っていた部屋の物はだいぶ残ったのですが、
自分はなかなか物を捨てずに溜め込んでしまうタチなので
中学高校時代の超恥ずかしぃーい黒歴史が
親に露呈してしまいました・・・orz
それから、引越し前に実家に預けていたお気に入りのマンガや絵やらは
長い間、海水や泥に浸されてぐちゃぐちゃになっていました・・・(泣
(2階の母の少女マンガコレクションは無事だったのに・・・)

でも、不思議と思ったほど悲しくは感じませんでした。
いつまでも悲しんでいる場合ではないというのもあるのですが・・・、



あまり大きな声では言えないのですが、
送られてくる支援物資が多すぎて困っているそうです。
写真は30日のものですが、箱の中身は全部おにぎりで、
他にもパンやらサンドイッチなんかの
保存の利かないものが同じくらい大量に送られてきて、
じーちゃんばーちゃんばかりの避難所は処理に困っているそうで、
帰りには逆にこっちが袋いっぱいにおりぎりを持たされて
帰ってきちゃいました。

ただ、他の避難所では未だに物資が届いていなかったり、
まだ海水すら引いていない地域もあるそうで、父は、
「自分たちは恵まれているんだ」と語っていました。

それから、自衛隊の方たちが本当にすごいと感じました。
この連日の活動で疲弊しているはずなのに、
挨拶なんかもフレンドリーで、そこらへんのお巡りさんよりも
ずっと身近で、頼もしいと感じました。
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